知識蓄積ノート【投資・FIRE】

日々得られる知識、洞察をひたすら蓄積するブログ

私自身、自分が何をしているのかも分からなくなっていた。

 

大学院時代も、はっきり言って苦しみ続けた2年間だった。
 
「周りが大学院に進むから、私も進むか」という理由だけで院に進学し、また、あまり変化の少ない研究室に進もうという理由だけで同じ学科の研究室を選んだ。そこには何のビジョンも、ポリシーも、情熱も無かった。私自身も「なぜこんなことをやっているんだろう」という疑問を抱き、そしてその疑問に対する答えを一つも用意してあげることはできなかった。
 
院生一年のとき、教授に呼ばれたことがあった。
確か休憩室のような場所だったかと思う。何の話かと思って聞くと、「博士課程に進まないか」という話だった。正直、その当時の私にはそんなつもりは全くなかった。自分で収入を確保し、誰かに依存しない状態を作りあげる。そうすれば自分の生き方に対して自由に選択できると思っていた。博士課程に進むということは、学生という身分の状態を続けるということ。収入が全くなかった私にとって、親に依存する形を継続するということだった。
 
「博士課程に進む考えはありません。就職して、収入を得るということが私の望みです」
 
おそらくそのように自分の考えをストレートに話したのだと思う。
それ以降、その教授はその話を私にすることは無かった。
 
大学院で苦しんだ大きな理由が、与えられた研究テーマに私自身があまり意義を見いだせなかったことと、その点に関して教授と私との間に考えの齟齬が存在したということだった。学士を得るためには卒論を書き、それを教授会で承認してもらう必要がある。私は自分の考えを捻じ曲げるようにして教授の考えに沿うような形で研究を進めた。ただし、そのような状態がうまくいくわけがなかった。
 
院生二年になる頃には、研究という名を借りた毎日の中で、私自身、自分が何をしているのかも分からなくなっていた。
 
 

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