知識蓄積ノート【投資・FIRE】

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①セミリタイアについての基本的な考え方:経済的自由を望むに至った経緯

 

経済的に自立する

 
大学院に通っていた頃、研究室の指導教官から、
「博士課程に進む気は無いか?」
と聞かれて、私は、
就職して経済的に自立した状態を作りたいので、博士課程に進むことは考えていない
と答えた。
 
もし博士課程に進んで「学生」という立場を継続してしまうと、当然収入が得られない状況が続くことになる。その時の生活費をどのように賄うか、そこについてのイメージを全く持つことができなかった。これ以上親に金銭的に依存して生きるのは嫌だった。それにそもそも研究室という場所にそれ以上居続けたいという思いもその当時の私には無かった。
 
その考えは間違っていなかったと、今の私は思う。
 
そしてその考えの背後にあったのは、就職したさらに先にある「経済的自由」という状態だったのだけど、その当時の私はそこまで考えてはいなかったのだと思う。とりあえず収入を作り出して、親から経済的に自立するのが最優先だった。そして自分の人生についての決定権の自分の手の内に持ち続けることが最優先だった。
 
 
 

企業に束縛されずに生きる

 
2004年に私は新卒で、ある国内メーカーに就職した。
 
新卒で入ったときの製造実習、営業実習。その時のことは強く記憶に残っている。
 
製造実習では国内工場に出向き、そこで他のワーカーさんに交じって製品の組み立てラインに入った。その当時はまだ実家に住んでいたのだけど、実家からその工場に出勤するのは距離的にも遠かったので、ウィークリーマンションを会社の方で借り上げ、その期間はそこに住んで毎日バスで工場に出勤した。
 
わずか2週間程度の実習だったのだけど、そこで慣れない作業と環境に苦しみながら、
 
なぜ自分はこんなことをしているんだろう?
 
という疑問を強く感じていた
これが私が望んだ人生なのだろうか。それとも、自分が望んだ人生にたどり着くためにはこのような試練が必要なのだろうか。そもそも、私が望んだ人生ってどんな人生なんだろう?
 
製造ラインで同じ作業をひたすら繰り返しながら、自分に問いかけ続けていた。
 
そのときの私は、その問いに答えることはできなかった。
 
 
 
ただ、たとえ企業に入って自分だけの収入を得たとしても、そのような状態では決して私は自由ではなく、企業という束縛の中で生きなければならないということだけははっきりと感じていた。今製造ラインで単純作業をひたすら繰り返しているように、企業というルールの中で自分を捻じ曲げるように過ごさなければならないことは確かだった。
 
 
おそらくその時だったのだと思う。
 
企業に入って自分だけの収入を獲得して経済的に自立したとしても、そこが私にとってのゴールではない。私が目指すべきはもっと先にあるんだ。 家族、企業、国から束縛されずに自由に生きられる状態。そこが私が本当に目指すべきゴールなんだ。
 
私にとっての一つの目標ができた。
 
 

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