私は、死ぬまでに、屋久杉を自分の眼で見てみたいと思っていた。
屋久杉をこの目で見てみたいと思ったのはいつからだっただろうか。正直自分の中でもはっきりとしていない。
単純に縄文時代から生き続けているという生命を見てみたいという好奇心だったのか。人間は生きても100年しか生きられない。それなのに、この世界には数千年も生き続けている生命体がいるということ自体にどこか畏怖のような思いを抱いていたのだろうか。
人間はいつか必ず死ぬ。
私という存在もあと数十年もすれば消えてなくなる。そのような儚い存在である自分を顧みたときに、「そもそも生きるって何なのだろう。死ぬって何なのだろう」と考えることがあった。
私にはその答えを見つけ出すことが出来ていないのだけど、それでも、数千年生き続けているものを自分の眼でみることによって私のこの疑問に対する答えが見えてきたりはしないのだろうか。
その答えそのものが見えなくても、その答えの輪郭だけでも見えてくれるのではないのだろうか。そんなことを心のどこかでは期待しているのかもしれない。