知識蓄積ノート【投資・FIRE】

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当時の私にとって「社会」というものは恐ろしいものだった。

 
大学についてもあまりいい思い出は無かった。
 
機械系の学部に進み、大学3年にもなると就職する人たちは就職活動を進めていた。ただ、機械系の学生の多くは院に進むことを決め、院試の勉強に明け暮れていた。私も、「就職をできるだけ後に遅らせたい」、また、「ほとんどの学生は大学院に進むのだから」、というたった二つの理由だけで大学院への進学を希望していた。
 
確か大学4年の夏ごろに試験があった。
その当時の私は、「試験に落ちたら就職活動をしなければならない」という強迫観念のもと、クーラーのない自宅の自室でひたすら数学と物理の過去問を解いていた。それくらい、当時の私にとって「社会」というものは恐ろしいものだった。大学の図書館に行けばクーラー付きの部屋を確保できるのだけど、大学は自宅から遠く、また他人の目がある中での勉強は私にとって集中しずらい環境だった。だから汗だくになりながらもひたすらノートに方程式や数式を書き出し続けた。
 
二つの研究室に願書を提出し、二つの院試を受験した。
そして、その両方ともに合格した。
 
一つの道は、大学3、4年に所属した学部からそのまま上に上がるような同じ分野の研究室。
そしてもう一つの道は、CGを研究テーマにした全く未経験の分野の研究室。
 
私は変化を恐れ、それまでやってきたことの延長線上にある研究室を選択した。
もしそのとき別の研究室を選択していたら、それから先の人生は変わっていたのだろうか。わからない。ただ、私の人格障害にも似たキャラクターを考えたら、どちらの道を進んでも大差は無かったようにも思う。結局、社会に適合できなくて孤独のまま、いつか企業や国という組織の束縛から逃れて生きることをひたすら願って毎日を過ごしていたはず。
 
今の私のように。