富士登山の計画を立て、そのための装備を揃えたとする。
それで十分だろうか。
山に登ったときの自分をイメージした時に何が一番不安かというと、そもそも体力は持つのだろうかというものだった。社会人になってからこれと言って運動らしい運動をやってこなかった。休日は家に籠って本を読んだりテレビを見たりしていたし、当然スポーツというものからも完全に無縁の生活を送っている。
「体力」というものに関して、大学に入学したときの一つの思い出がある。
入学式のあと、様々な運動部やサークルが勧誘をしてきた。一年生というものはその運動部やサークルを存続させていくためにはどうしても一定人数は入ってもらわないと困る。そんな思いで上級生は勧誘をしていたのだろう。私の所にも様々な所から勧誘が来た。
高校の3年間は帰宅部で過ごしていたし、何かしらの部活に入ることが必須だった中学生の時は一年の始めに卓球部に入ったけど、その夏には退部していた。そして別に縛りもゆるく体を使うことがない将棋部に移って残りの学生時代を過ごしていた。
だけど大学に入学したときの私には、
「一度くらい野球というものをやってみたい」
という漠然とした思いがあった。できれば高校生の時にやるべきだったのだろうけど、通っていた高校は甲子園を目指すような学校だったので初心者がいきなり入れるような場所じゃなかった。大学のマイナークラブなら初心者が入ってもいいのではないのか、そんなことを思ったりしていた。
結局勧誘された一つである「準硬式野球部」なるものに入ることになった。
その当時は野球部というものにそれほど詳しくなかったので「準硬式野球」というものがどういうものかも知らなかった。
運動部としての野球部は大きく3つに分かれる。軟式野球部、硬式野球部、そして準硬式野球部。軟式や硬式は有名だろう。準硬式では、ボールは硬式に近いのだけどただその表面がゴムでおおわれているような軟式と硬式の中間にあたるようなボールを使用する。そのようなマイナー野球部ならなおさら初心者の私でも大丈夫だろう、そんな打算も自分の中にあった。
ただ、その考えが甘いものだということをすぐに思い知らされた。
平日は授業の終わった午後4時から練習が始まる。確か週に二日くらいだったと思う。そして土日は基本的には土曜日の朝から練習を行っていく。これは別に運動部としては緩い方のスケジュールなのかもしれないけど、それまで本格的に運動というものをしてこなかった私には本当に地獄だった。
入ったすぐの頃は、平日の練習後に家に帰ると本当に疲れてぐったりしていて何一つできなかった。
「これは、体がもたない」
単純にそう思った。
上級生にすぐに退部を申し出ようとした。だけど入部した時点で試合用のユニフォームがすでに発注されてしまっていて、もし辞めてしまったらそのユニフォームの発注で上級生に迷惑をかけてしまう。そんな理由もあったのだけど、ただ単純に退部を申し出るだけの勇気が無かったのだと思う。もし、
「準硬式野球部を辞めます」
という勇気が私にあったのなら私は一週間で辞めていた。実際に一週間で来なくなった新入生も多くいた。
ただ、不思議なもので苦しい思いで練習をしていると、段々とその練習がきつくなくなってきた。別に練習量が減ったわけでもないし楽な練習に切り替わったわけでもない。おそらく練習を継続することによって私自身に体力がついてきたのだと思う。そのような経験を今までしたことがなかったから、ある意味では初めての経験だった。
つまり、 体力をつけるためにはある程度の負荷での運動を継続的にやらないと駄目なのだということ。それは当たり前のことだったのだけど、私はその当たり前の事実を自分の身をもって経験していた。