知識蓄積ノート

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運動を習慣の中に組み込む:川崎大師まで歩いてみた

 

何とか運動を習慣の中に組み込めないだろうか

 

それは将来的な「富士登山」のための体力づくりという目的もあるのだけど、それ以上に運動そのものの効果を人生の中で活かしていきたいと考えていた。

 

そもそも運動することによって健康になるはず。

自分の体、そして自分の健康というものは非常に重要な資産のはず。健康を損なってしまうとそれ以降の生活の質(QOL)も大きく低減してしまうし、健康であればできたはずの多くのことができなくなってしまうように思えた。

健康は誰もが当たり前に持っているものだから中々その貴重さに気づけないけど、失って初めてその貴重さに気づくことが出来る。そして恐ろしいのは、一度失ってしまうと多くの場合でもはや手遅れになってしまうのだということ。

そのことは、私の祖母が脳出血で倒れてそれ以降の人生をしゃべることもできず寝たきりで過ごして生き続けた姿を見て、とても具体的な光景として私の胸に深く刻み込まれていた。

 

 

 

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運動の効用としてもう一つ私が期待しているのが、「運動すること自体がストレス解消になるし、脳の活性化につながるのではないのか」というもの。

 

今は会社でのストレスで簡単に鬱のような状態になってしまっている。

そして一度そのような状態になってしまうと中々物事を深く考えることもできなくなるし、生活の中で自分を律することが出来なくなる。一日中テレビやYoutubeの動画を見て時間を浪費してしまうことも多々あった。だけど、そのように周りの環境に簡単に影響されて自分を見失ってしまっていたら、中々自分の人生を自分の望むようにコントロールすることはできなくなってしまう。私の人生を私の手に取り戻すために、その「ストレス」に対する対処方法は何よりも私に必要だと感じていた。

 

 

 

「会社の中にゴールは設定していない。だから、会社や上司の評価を私はもはや必要としないんだ」

 

そのように自分に言い聞かせてみても、現実の仕事の中でストレスは簡単に私の精神に大きなダメージを与えてしまう。そもそも私は精神的に弱い人間だったし、周りとうまく関係を作っていけるような人間ではなかったから、その「ストレス」を自分の意識付けだけで対処しようとするのには限界があった。

 

 

 

そして考えたのは、もっと外部装置を利用してその「ストレス」にも対処できないだろうかというものだった。

単純に言えば、ストレスで精神的に落ち込んでしまった時だからこそ、生活の中に運動を組み込んでいく。 「運動」をストレス対処のための外部装置として習慣の中に組み込んでいくという考え方。

 

運動はできれば毎日の習慣として組み込みたいのだけど、平日は仕事があるのでとりあえずは休日の中で習慣として組み込んでいく。具体的には午後の時間で2~3時間を運動に割り当てる。 目的地を決めて、そこに向かって速足で歩くということを習慣化していく

 

 

 

昨日は、まずはその試行として川崎大師まで実際に歩いてみた。

 

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川崎駅から歩くとして川崎大師まで片道3.2km。往復では6.4km。単純に歩くだけで往復1時間半くらい。

 

今は気候的にも歩きやすいということもあってそれほど苦も無く歩ける。さすがに6.4km歩くのは少し疲れたけどそれでも逆にこのくらいの負荷は運動の中でかけていきたいところ。

 

目的地を設定して、そこに向けてひたすら歩く。

 

それを休日の午後の習慣として何とか確立していこう。

どこまで続けられるか分からないけど。