もし今、自分が末期がんで余命半年と告知されたとしたら、私はそれまでの人生を後悔してしまうのだろうか。
某ドラマの主人公のように、カップラーメンを食べながら、
「私は後悔していた。
私は、子供の頃に描いていた人生を全く生きてこなかった。〇〇年も生きてきたのに・・・」
そのように、後悔の涙をボロボロと流すことになるのだろうか。
私はそのような人生は絶対に嫌だった。
人生にとって一番大切なことは
「後悔の無い人生生きること」
だと信じていた。だけど、どのようにしたらその「後悔の無い人生」を生きられるのかをあまり分かっていなかったのだと思う。
「もし今日が人生において最後の一日だとしたら?」
この自分への問いかけは、後悔の無い人生を生きる上で大切な自問になると誰かは言う。私もその言葉をよく自分に対して問いかけては見るのだけど、この言葉の本当の重さを私は理解していたのだろうか。きっと、どこかでは、
「おそらく明日は来るし、明後日も来る。今日は自分が望むような生き方をできなかったけど、その明日や明後日の中で、私が望むような生き方をすればいい」
そう言い訳をして、目の前の現実から目をそらして生きていたのだと思う。
確かに明日は来るだろうし、明後日も来るのだろう。
だけど、「今日が人生において最後の一日」という言葉が真実となる日がいつか必ず訪れるんだ。自分には明日はやってこないし、明後日もやってこない。そのような冷酷な真実を前に絶望してしまう日がいつか必ずやってくる。
私はその事実をもっと真摯に受け止めるべきだった。
「もし今の人生が自分の望むような人生でないのなら、生まれ変わった次の人生では別の生き方をすればいい」
そのような我儘を神様は絶対に許してはくれない。