知識蓄積ノート

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㉟セミリタイアについての基本的な考え方:まとめ(3):自分が望む方向に、自分で自分を追い込む

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転職を進めていく上でベースにした3つの考えの3つ目。

 

 

(3)自分が望む方向に、自分で自分を追い込む

 

私の中の信念の一つに「人間は意志が弱い生き物」というものがある。

それは、私が「私」として生きていく上で強く感じている一つの実感だった。私は簡単に自分の目標を見失い、そして簡単に現実から逃げ出してしまう。ある意味では「私は意志が弱い生き物」と言い換えてもいいかもしれない。私は「私」という視点でしか生きたことが無いので、他の人がどうかは分からない。でも、私の中の一つの実感としてそれを一つの真理として受け止めていた。

 

 

 

高校2年までの私は本当に努力をしない人間だった。

学校では帰宅後に毎日〇時間学習をすること、という目標が設定されており、そして実際にその日の学習時間を書き出して学校に報告するというものがあった。要領のいい学生は、それに対しても多少の誇張をして時間を書いていたのかもしれない。ただ、私は変に繕うのも面倒に感じていたから、実際の家での学習時間をいつも書いていた。そしてその学習時間は目標に対しては本当に少ないものだった。

 

3者面談の時に、担任に、

「〇君は、家での学習時間が少ないですね」

と言われて、

 

勉強は嫌いですから

 

と正直に答えて担任を呆れされたこともあった。

 

別に高校2年まではそれでも何とかなっていた。その高校は期末テストの点数をもとにクラスを振り分けていたのだけど、2年までは特にクラスを落ちることもなく持ちこたえていたので私自身の危機感もほとんどなかった。だけど高校2年の後期に私は初めてそのクラスを下に落とされた。これが一つのきっかけになったのだと思う。私は、

 

このままではだめなのかもしれない

 

と思った。しかも高校3年になると周りが大学受験に対する勉強を真剣に取り組み始めており、私自身もこの時になって初めて「大学受験」という大きな壁を感じることになったのだ。それ以来、私は自分を律することが出来るようになった。次の日の勉強のスケジュールを前日の夜に細かく設定し、当日はその設定したスケジュールをひたすらこなすことに集中していた。気づけば朝の5時30分から夜の22時まで、ひたすら問題集の問題を解き続けていた。

 

なぜ、その当時の私は自分を律して努力することが出来たのだろう。

 

それは私にとって大きな謎だった。あんなにも努力が嫌いで努力の出来ない人間が、あの1年間だけは自分でも信じられないくらい努力していた。その理由をしっかりと把握し、そしてそれを今後の人生においても再現することが非常に大切に思えた。

 

おそらく、「私は意志の弱い人間」ということは根本的には変わっていなかったと思う。だけど、意志の弱い人間だからこそ、自分の意志の力で自分を律するのではなく、「大学受験」という外部の力を利用して自分を律することができたように感じていた。あの当時は浪人なんて選択肢の中には無かったから、何としても受験に合格する必要があった。もし落ちてしまうと自分の人生のこれから先の道が本当に閉ざされてしまうと信じた。そしてそのことが私にとって大きな恐怖としてのしかかった。

 

つまり、私は外部からの強制力(大学受験)でもって初めて自分を律することが出来たのであって、そして外部からの強制力でしか自分を律することが出来ない人間だった

 

これはある意味では憐れむべき事実なのかもしれない。だって、自分の意志でもって自分を律することが出来ないということは、自分で自分の道を切り開いていくことができないということなのだから。そのことにずっと苦しみながら社会人として生き続けてきた気がする。それは単なる言い訳だったのかもしないけど、少なくともその当時の私にとっては厳然たる事実以外の何物でもなかった。だけど、ある時から、私に一つの考えが生まれるようになる。

 

「私は私の力で自分を律することが出来ない人間なんだ。外部からの強制力を利用するしかない人間なんだ。でも逆に、それが事実だとしたら、自分でその「外部からの強制力」をうまく利用することが出来れば自分を律することが出来るということではないのか

 

つまり、 自分が望む方向に、自分で自分を追い込むということ

例えば、中途採用募集に応募をするということもその行動の一つだった。一度応募をして、面接を設定されてしまうと、その面接を受けるということは外部からの強制力以外の何物でもなかった。確かに自分で自分を追い込むためには初めの一歩は自分で踏み出す必要がある。でも何とかその一歩さえ踏み出してしまえば、あとは外部からの強制力を利用することはできるはず。それを最後まで実践できたのがこの転職活動そのものだったのだと思う。

 

だけど、「転職」は私にとってのゴールではなかった。

国や企業に束縛されずに生きるという目標を実現させるための一つのステップでしかなかった。

 

私は今、私の望む目標に到達するために次の「外部からの強制力」を利用する必要があったし、そしてそのためにも勇気をもって次の一歩を踏み出す必要があった。