実家にて
母親に「B社に転職することにした」というメッセージを送った後、しばらくして父親から、「今週末に実家に来ないか?」というメッセージが来た。
その当時私が住んでいた所は実家から1時間半で行けるようなところだったので、時々ちょっとした用があるときなどは実家に行くということもあった。予想していた通り、実際に会って話をする必要があるようだ。私は、
「分かった」
と返事をした。
その週末の土曜日に、私は実家に行った。
そして実家についてしばらくは、いつもと同じ感じで過ごしていた。特に親から転職のことについての話題はしばらくは出なかった。おそらく転職のことについて聞きたいけど、タイミングを図っているのだろう。そんな変に息苦しい時間を続いた後、とうとう母親が、
「どうして転職することにしたの?」
と聞いてきた。
私は自分の中にある答えをしゃべるしかなかった。
「作る製品を変えようと思っている」
別に取り繕うつもりも無かったし、その当時の私にとってはそれが事実だったのだから嘘をついているという感覚も無かった。
「正社員なのか?」
父親が言葉を挟む。親としてはやはりそのようなことが気になるのか。
「正社員」
「今までの会社での知識や技術や、その会社では活かせるのか?」
「分からない。でも活かせると思う」
そのような短い会話を何回か交わした。それ以降は父親も母親も何も言ってはこなかった。おそらく転職すると告げたB社が日本を代表するメーカーの一つだったので、「正社員」といいう待遇さえ維持できていれば特に反対する理由が無かったのだろう。その日は下の妹も実家に遊びに来ていてなぜかその場にいたのだけど、私の転職については特に言葉は交わさなかった。
その日、実家から家に帰ってきて「家族への説明」という一つの重荷を下ろせたことにほっとしていた。
週が始まって、数日はまだ転職の可否について考えていた。
家族には転職は告げたが、B社にも、そしてその当時勤めていた会社にも当然まだ伝えていない。まだ引き返すことはできた。引き返したとしても家族には、「やっぱり転職するのはやめることにした」と告げればいい。だけど、B社に一度回答してしまうと、それが受諾であれ辞退であれもう引き返すことはできなかった。
こんな数日で人生の重要な決断をしなければならないという重荷に、正直、押しつぶされそうな数日だった。
だけど、何度考えても私にとっては「辞退する」という選択肢は無いように思えた。
これは人生を変えるための一つのきっかけであり、その当時会社の中ではまり込んでいた地獄のような日々からの離脱のきっかけであり、将来的に独立を目指すうえで重要な経験を得られるきっかけだった。
自分自身に対して何度も、
「本当に転職しても大丈夫なの? その転職先でもっとひどい地獄が待っていたりはしない?」
と問いかけた。
だけど、未来のことは誰にも分からなかった。
その当時、私は自分に対してよく言い聞かせていた一つの言葉があった。
「未来のことは誰にも分からない。
「未来が分かる」と言う人の言葉を私は絶対に信じない。
そのようなことを言う人はいんちき占い師か詐欺師に決まっている。
だから、自分の決断が正しいことを信じて前に進むしかないんだ。」
私は、自分のこの決断が正しいことを信じることにした。
決断
7月4日(水)の午前中に、B社人事担当から一通のメールが届いた。
2018/07/04 10:31
〇〇株式会社 キャリア採用担当の〇〇です。
先週末に合格のご連絡を差し上げましたが、
内定通知書の内容はご確認いただけましたでしょうか?
ご不明な点などございましたら、キャリア採用担当の
〇〇までお気軽にご連絡ください。
さて前回(6/29)のメールに記載しましたとおり、この度の
〇〇様の内定にあたり、内定通知書の準備が整いましたので、
本メールに添付するとともに、郵送させていただきます。
※記載内容は発行日付をのぞき、前回と同様です。
※ファイルのパスワードは、別途お知らせいたします。
承諾書も併せて郵送いたしますので、ご確認・ご捺印のうえ
返信くださいますようお願いいたします。
※なお、弊社都合で郵送が本日となるため、返送期日は7/11と
しておりますが、内定受諾可否のご意向を今週7/6までに
メール/電話で頂戴したく、お願いいたします。
それでは、〇〇様の入社を心よりお待ちしております。
よろしくお願い申し上げます。
自分の中で決断を下している以上、これ以上返事を遅らせるべきではないと思い、私はこのメールに対して返信を送ることにした。
2018/07/05 8:57
お世話になっております。
〇〇です。
この度は内定のご連絡頂き、誠にありがとうございました。
御社からの内定をありがたくお受けさせて頂きたいと思い、ご連絡いたしました。
入社後は、一日も早く御社に貢献できるよう努力して参りますので、これからどうぞよろしくお願いいたします。
承諾書につきましても、届き次第、確認・捺印の上
返送いたします。
さすがに、このメールの「送信」ボタンを押す際は心が震えた。
「送ってもいいよね?」
最期に私は自分に問いかける。
私は「送信」ボタンを押した。
もう、後戻りはできなかった。