知識蓄積ノート【投資・FIRE】

日々得られる知識、洞察をひたすら蓄積するブログ

「なぜ、高三の私はあんなにも努力できたのですか?」

f:id:higeyarou79:20190226070614j:plain

 

「なぜ、高三の私はあんなにも努力できたのですか?」
 
今までの人生において一番努力した時期はいつか。
おそらく高三の受験勉強時。そしてそのときのシステムは後の院試の時も再現できた。再現可能なシステムなのだとして、なぜそれが人生全般において再現できないのか。
 
そもそもなぜ、高三の時の私はあんなにも努力できたのか。
 
高二までと高三までと勉強という意味ではそれほどやっていることは変わらない。だけど高二までの私は全く努力できない人間だった。
 
 
振り返ると、やはり「目標が明確だった」ということなのだろうか。
 
高三の時は大学合格、院試の時は院試合格。
しかも、「絶対に落ちるわけにはいかない」という強制力があった。それ以外に「個人作業だった」というのももちろんある。もし大学受験が団体競技だったら、間違いなく私は途中で挫折していた。
 
でも、今の私は個人作業(投資、創作)においてもうまく自分を律することができていなかった。ある意味では高二までの私と同じだった。
 
 
もしそうだとすると、目標を設定す方法を考えるべきなのだろうか。
ただ単に目標設定するだけではなく、それを明確化し自分に対して強制させるシステム。そのような具体的なシステムを人生において導入する必要がある。