母の還暦の食事会は、その後、子どもたちからの贈り物となった。
「色々と旅行に行ってもらいたいと思って、お祝いは旅行券にしました」
姉がそのように言いながら、封筒を母に渡す。
どうやら私以外の姉妹が相談をしてそのお祝いに決めたようだった。私には何の相談も無かったのだけど別に構わなかった。変に話をこちらに持ち込まれても特に私に何かしらの意見やアイデアがあるわけでもなかったので。その旅行券の代金の一部は、後日私から姉に渡した。
私の挨拶のあとは変にしんみりとして、それほど盛り上がるということも無かったのだけど、特に居心地の悪い空気という訳でもなくその食事会は終わった。
帰りの車の中、先ほどの食事会で私自身が口にした二つの言葉が何度も頭の中でぐるぐる回転していた。中々その言葉は私の頭の中から消えてくれなかった。
「健康は誰もが当たり前に持っているものでもあるので、人はその大切さに中々気づけない。そしてそれを失った時に、その大切さに初めて気づく。だけど、その時には大抵の場合は手遅れになっている」
「後悔の無いように、やりたいと思っていることは全てやってください」
この二つの言葉は母に向けて口にしたのだけど、この二つの言葉は私自身に向けての言葉でもあった。
人生の中で一番大切なことは、後悔の無い人生を生きること。
その当時の私はそう強く信じていた。だけど、どうすれば「後悔の無い人生」を生きられるのか分からなかった。一日一日を無駄に浪費をしてしまっているような気がしていて、気ばかりが焦っていた。
このときの自分自身の言葉に対する答えを、今の私は見つけ出せているのだろうか。
それを考えると恐ろしくなる。
私は自分の人生を無駄に使ってしまっているのではないのか。
せっかく今、この場所に生きることが出来ていて、その「生きること」は一つの奇跡であるはずなのに、その奇跡をまるで溝の中に投げ捨てるような生き方をしてしまっているのではないのか。
私は、自分自身のこの言葉にずっと囚われていたのかもしれない。