知識蓄積ノート

日々得られる知識、洞察をひたすら蓄積するブログ

イノベーションを加速させる:創造性に火をつける最良の方法は、陽が差してくるくらいの規模の災害を起こすこと

 

中度災害仮説

 
 
イデアが既存の要素の新しい組み合わせなのだとしたら、その組み合わせを効果的に行う方法はあるのだろうか。
 
すでに世の中で常識となっている考え方は私の潜在意識の中に深く根を下ろしていて、その枠組みを超えるような思考をすることは中々難しい。私の思考はすでに舗装された道路の上ばかりを走ろうとする。
 
 
 
 
どうして世界のほとんどの地域では生態系が単調なのに、ほんのいくつかの地域では驚くほど多様なのか。*1
 
多様な植物が生えている場所にはある共通点があることに気づいた。
たいていは大きな木が倒れた形跡があった。
そうした倒れた木や焼けた木が、多様な植物の繁栄にとって決定的な役割を演じた。
 
ある一つの種が生存の問題を解決すると、他の生存方法を排除する。ところが何らかの原因で生態系がわずかでも変化すると、またたく間に多様性が広がるのだ。
 
生物学の世界では、これは中度災害仮説と呼ばれている。
それによれば、「局地的に種の多様性が最大になるのは、環境災害が稀でも頻繁でもないときである」
 
 
 
もちろん人間の創造性は生物学的多様性とは異なる。
 
いったん強力なアイディアが根づくと、しばしば徹底的にライバルを排除してしまい、代案が出てこなくなる。だから時には、創造性に火をつける最良の方法は、陽が差してくるくらいの規模の災害を起こすことだ。
 
 
 
 
 

「環境の災害」

 
自分の思考に対して何らかの「環境の災害」を起こすこと。
それによって思考の多様性を生み出せるという。
 
もしそうだとしたら、その「環境の災害」を効果的に、そして習慣的に行うためにはどのようなやり方をとればいいのだろうか。
 
例えば、
 
  • まだ行ったことのない土地に行ってみる。
  • いままで馴染みのないジャンルの本を読んでみる。
  • 自分が今まであまりとったことのない行動をとってみる。
 
 
このような「環境の災害」は思考の多様性につながってくれるのだろうか。
 

f:id:higeyarou79:20200921103718j:plain

*1: あなたの生産性を上げる8つのアイディア チャールズ・デュヒッグ 著

イノベーションを加速させる:古いアイディアの新たな組み合わせ

 

「汎用的な方法」

 

製品設計をしていると多くの問題が発生する。
 
「狙っていた動作をうまくしてくれない」
「強度が弱くて、破損してしまう」
 
などなど。
 
 
そのようなときに私はどうするのか。
 
まずすることはその現象を詳しく観察して、どのような原因でその現象が発生するのかを推理すること。
そして次に、その原因を取り除く方法を考える。
 
ただし、その際は他の製品の情報や、場合によっては異なる分野の製品の情報を集めることもある。そしてそこに、その問題を解決するためのヒントがないかを探していく。
 
基本的にはこのようなプロセスで問題を解決していった。
 
 
 
 
古いアイディアの新たな組み合わせ*1
 
「私たちが群を抜いて独創的だと考えている人のほとんどは本質的には知的媒介者だ。彼らは、異業種間あるいは異集団間で知識を移動させるやり方を知っているんだ。彼らは、さまざまな人々がそれぞれ別の場所で同じ問題に取り組んでいるさまをたくさん見てきたので、どのアイディアがうまくいくかを知っているんだ」
 
社会学の世界では、そうした媒介者はしばしばアイディア・ブローカーあるいはイノベーション・ブローカーと呼ばれる。
 
 
 
 

「汎用的な方法」を製品設計以外にも適用すること

 
転職前、転職後、そのような問題解決の方法は同じように有効だった。
 
そういう意味では「汎用的な方法」とも言えるかもしれない。転職前、転職後でその強みは再現性があったのだから。
 
 
そのような「汎用的な方法」を製品設計以外にも適用することはできるのだろうか。
 
私が本当にやりたいと思っていることに対して、その「汎用的な方法」を適用するためには具体的にどうすればいいのか。基本的には同じようなプロセスになるのだろうか。
 
①解決すべき問題を観察する
②その問題を解決できるような事例が他の分野に無いかを探すため、徹底的に知識蓄積を行う
③候補となる解決法を「解決すべき問題」に適用してみる
 
 

f:id:higeyarou79:20200920100820j:plain

*1: あなたの生産性を上げる8つのアイディア チャールズ・デュヒッグ 著

私自身、自分が何をしているのかも分からなくなっていた。

 

大学院時代も、はっきり言って苦しみ続けた2年間だった。
 
「周りが大学院に進むから、私も進むか」という理由だけで院に進学し、また、あまり変化の少ない研究室に進もうという理由だけで同じ学科の研究室を選んだ。そこには何のビジョンも、ポリシーも、情熱も無かった。私自身も「なぜこんなことをやっているんだろう」という疑問を抱き、そしてその疑問に対する答えを一つも用意してあげることはできなかった。
 
院生1年のとき、教授に呼ばれたことがあった。
確か休憩室のような場所だったかと思う。何の話かと思って聞くと、「博士課程に進まないか」という話だった。正直、その当時の私にはそんなつもりは全くなかった。自分で収入を確保し、誰かに依存しない状態を作りあげる。そうすれば自分の生き方に対して自由に選択できると思っていた。博士課程に進むということは、学生という身分の状態を続けるということ。収入が全くなかった私にとって、親に依存する形を継続するということだった。
 
「博士課程に進む考えはありません。就職して、収入を得るということが私の望みです」
 
おそらくそのように自分の考えをストレートに話したのだと思う。
それ以降、その教授はその話を私にすることは無かった。
 
大学院で苦しんだ大きな理由が、与えられた研究テーマに私自身があまり意義を見いだせなかったことと、その点に関して教授と私との間に考えの齟齬が存在したということだった。学士を得るためには卒論を書き、それを教授会で承認してもらう必要がある。私は自分の考えを捻じ曲げるようにして教授の考えに沿うような形で研究を進めた。ただし、そのような状態がうまくいくわけがなかった。
 
院2年になる頃には、研究という名を借りた毎日の中で、私自身、自分が何をしているのかも分からなくなっていた。