知識蓄積ノート【投資・FIRE】

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子供の頃の思い出(2)

 

 

私は小学5年から塾に通い始め、中学進学時に中学受験をした。

 

行きたい学校が特にあるわけではなかったけど、姉も中学受験をして家から近い私立中学に進学したということもあり、その流れで私も受験をすることになった。

 

私の姉が通っているという私立中学はそれほど偏差値が高いという訳でもなく、そんなに努力をすることもなく合格することが出来た。その私立中学は中高一貫校だったので、中学の時にその学校に進学してしまえば高校受験をする必要が無いというのも一つのメリットだった。

 

 

 

その中学生時代の3年間は、それこそ小学生の時のような過ごし方の延長線上で過ごしていた。

小学生の時のように私は自分から周りと関係を作ることが出来ない人間だったけど、それでも私のような人間とつるもうと思ってくれる人は少人数だったけど確かにいて、その三年間はそれほど孤独を感じることも無かった。人間関係はいつだって受け身の姿勢だったのだけど、そのような姿勢を受け入れてくれる場所がそこにはあった。

 

 

 

その状況は大きく変わったのは高校に進学してからだった。

 

中高一貫校ということで私の中学時代のクラスメートのほとんどはそのまま同じ高校に進学した。ただ、その中で外部から入ってくる人も半分ほどいた。その人たちは別の中学から高校受験という形でその高校に進学してきた。

 

高校に上がって初めてクラス分けを知ったとき、私は微かな絶望を覚えた。

中学時代に受け身の私とつるんでくれた少人数の子たちは全て私とは別のクラスに振り分けられていた。

 

私は、半分は全く知らない外部進学の生徒、そしてもう半分は中学時代も全く会話もしたことも無い生徒、その二つの生徒たちの中にいきなり放り込まれたのだ。

 

 

 

それでも、始めは私は楽観的だった。

「自分から人間関係を作ることが出来ない」という致命的な欠陥を有している私でも、小学生や中学生の頃のように、そのような私に対してもつるんでくれる人はきっといるはず。そう心のどこかでは信じていた。

 

 

 

それが、私の幻想でしかないのかもしれないと気づき始めたのは、高校に進学してから1、2カ月経ったときだろうか。

 

そのくらいの時間がたってくると、私のクラスでは次第にグループのようなものが出来始めていた。そして、私はそのどのグループにも入っていないことをうすうす気づき始めていた。

 

受け身の姿勢で待っていても、いつまでも私の前に立ってくれる人は一人もいなかった。

 

「これはまずい」

そう感じた私は、初めて自分から周りに入っていこうと思った。

 

だけど、そのような生き方をこれまで全くしてこなかった私には、どのようにして周りの人たちと友達になっていけばいいのか、全く分からなかった。

 

 

 

 

 

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