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㉛セミリタイアについての基本的な考え方:企業という枠組みの中で働くということ

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私にとっての最終出社日はつつがなく過ぎていった。
 
 
 
私の最終出社日は2018年8月10日(金)。
新卒でこの会社に入ったのは204年4月だったので、約14年と4カ月間出社しつづけたことになる。あまり病気をするようなこともなかったので、会社を休むということもそれほどなかった。
 
 

企業という枠組みの中で働くということ

 
この会社に入ってよかったという思い出はほとんどなかった
というより全くない。苦しい思い出しかない。ただ、その苦しい中でも当然仕事は前に進めなければならなかったから、何とか自分を追い立てるようにして働き続けた。その途中、本当に苦しい時期があって、その頃は実際に毎日「退職届」をカバンに忍ばせて出社していた。タイミングが合えばそれを上司に出そうと考えていた。結局出すことはなかったけど、その理由も「ただ勇気がなかっただけ」だった。もしもその当時の私にあとほんの少しの勇気があれば実際にその退職届を上司に提出していたのだと思う。そんな苦しみを一日、一日何とか乗り切っていって、気が付いたら14年という年月が経っていた。そんな感覚だった。
 
もはや何を目指して働いているのかも分からなくなっていたけど、目の前の壁を一つ、また一つと乗り越えることに集中するしかなかった。やっている仕事は私に向いているとは思えなかったし、そもそも企業という枠組みは私にとって向いているような場所ではないという感覚が自分の中に強くあった。
 
 
 
そんな状態だったから、私の中ではかなり前から「個人として生きる」という状態を目指したいと思っていた
そのために色々と努力をしてきたつもりではあったけど、どこかでは逃げてしまっていた部分もあったかもしれない。
「企業で働く」ということは私にとっては過大なストレス以外の何物でもなく、そして始末の悪いことにその「過大なストレス」はぜい弱な私の精神など簡単に破壊してしまった。そうなると私は物事をうまく考えることもできない状態になって、ただ目の前の苦しみから逃れようと現実逃避をして時間を浪費してしまっていた。
本当に悪循環以外の何物でもなかった。どこかでこの悪循環を断ち切る必要があった。そうしないと「いつか自分のやりたいこと、得意なことをしたい」と思い続けて、気が付いたらその会社で定年を迎えてもう自分には残された時間があまりない。そんな状態になっていたような気がする。そしてそのための一つのきっかけとして取り組んでいたのが、この「転職活動」だった。
 
 
正直、
「もっと早くに辞めるべきだったな・・・」
という思いが自分の中にある。
 
だって、企業という場所に人生のゴールを置いていないのだとしたら、その場所に居続けても私にとって意味のある経験ができるとは思えなかったから。それに何か新しいことを始めるのだとしたら、一日も早く始めたほうがいいはず。
 
とはいえ逆に言うと、この14年間が全く無意味だったというつもりはなかった。
全然私が望むような場所ではなかったし、そこで私の強みを発揮できたという思いも全くない。ただ、そのような場所であっても苦しみながら何とか前に進んできた。実際に多くの機種の製品開発にも携わることが出来た。メーカーで製品設計者として新しい製品を世の中に送り出すということは誰もができる経験ではない。そのような経験をできたことは意味があったのだと思う。それに、たとえ畑違いの場所に進むのだとしても、その試行錯誤した経験は何かしらの力にはなってくれるはず。
 
 
 

一通のメール

 
 
最終出社日、就業時間が近くなって、あまりかかわったことのない若手の社員から私宛に一通のメールが届いた。
 
「自分の周りにはあまり参考になる先輩はいなかったのですが、〇さんがこの部署に異動してきて、初めて参考にしたいと思えました」
 
私は次のような返信を送った。
 
「自分の望まない仕事でも、それをこなしていくうちに経験が積みあがっていくと思います。体に気をつけて頑張ってください」