知識蓄積ノート【投資・FIRE】

日々得られる知識、洞察をひたすら蓄積するブログ

その「内定式」というものが、私が恐れ続けていた「社会への入り口」のように感じられた。

大学推薦で応募したメーカーの採用連絡を受け、結局大阪まで企業訪問してそれなりの手ごたえを感じていた某メーカーへはそもそも応募すらすることは無かった。
 
その採用連絡を受けたのが確か大学院生2年の5月頃だったので、その前年の冬から開始していた私の就職活動はそこで終わりを告げた。それまでは応募しては不合格通知を受けるという、中々精神にこたえる日々を送っていたのでそれが終わったのはある意味ではほっとしたいたように感じる。ただし、採用されたメーカーで私自身が情熱を持って働くという姿は全くイメージできなかったのも事実だった。
 
報告として両親にその結果を話をしたときは、
「大阪の某メーカーの方が規模も大きいし、いいのではないのか」
のようなことも言われたのだけど、そればっかりは私にはどうしようも無かった。その一言の後には特に何かを言われたという記憶は無い。とりあえずは就職先が決まったことにはほっとしていたのかもしれない。
 
 
それからは修士論文を書くための活動に集中した。
依然として指導教官と私との考えの齟齬はあったのだけど、「あと数か月の我慢」と自分に言い聞かせてその指導教官の意向に沿って、そしてそこに私なりの洞察、アイデアを加えていく形で進めていた。そこに学問的な価値は依然として見いだせなかったけど、とりあえず卒業することが最優先なので黙々と作業を進めていた。
 
 
内定を受けた企業からはいくつかの連絡を受けていて、その中でオンライン研修のようなものもあったので時間の合間を見て研修を受けた。内容ははっきりとは覚えていなかったのだけどおそらくビジネスにおける常識的知識を学ぶようなものだった気がする。そして企業からの連絡の一つに「内定式」というものがあった。日付は10月1日。始めに連絡を受けたときはまだ10月まで期間があったので「内定式なんてものがあるのか・・・」くらいに簡単に考えていたのだけど、実際にその10月が近づいてくるにつれてどんどん憂鬱になっていく。
 
その「内定式」というものが、私が恐れ続けていた「社会への入り口」のように感じられた。
その思いが積み重なって、私の気持ちをどんどん重くしていった。
 
そして内定式の当日。
その一日のことは今になってもよく覚えている。
 

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