知識蓄積ノート

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三菱重工が手掛けていた「国産ジェット事業」凍結について思うこと

 
少し前、三菱重工が手掛けていた「国産ジェット事業」が凍結されたというニュースを目にした。
 
 
 
三菱国産ジェット事業凍結、サプライヤーは冷ややか「もう終わった話」
 
三菱重工業の小型ジェット旅客機「三菱スペースジェット(MSJ)」の事業化が、事実上の凍結に追い込まれた。設計変更などで初号機の納入を6度延期し、新型コロナウイルスの影響による航空機産業の激変で行き詰まった。官民の一大プロジェクトだっただけに失望感が広がる。MSJの開発をめぐる混乱は、サプライヤーとの関係に影を落とし、国内の産業育成の課題も浮き彫りにした。
 
 
 
 
 
このMSJと私には、ちょっとした因縁がある。
 
 
あれはいつ頃だっただろうか。
私が社会人になってまだ5年目くらいだったと思う。その当時の私は新卒で入ったメーカーの機械設計という仕事に追い込まれていた。新しい製品の設計開発という仕事は他部署(他者)との協調が非常に大きな部分を占めており、アスペルガーのような気質を持つ私にとって、それは非常に苦手とする分野だった。しかもその製品の量産日程は決められており、その期限内に何としても目の前の試作機の発生問題を解決しなければならないというプレッシャーは、私の心を簡単に押しつぶしていた。
 
 
転職しても同じことを同じように繰り返すだけかもしれない。
そんな思いも心の奥底にへばりついていたのだけど、ただ目の前の困難から逃げたいという一心で、休日や平日の夜に転職サイトをのぞいたりしていた。
 
 
その中で見つけたのが三菱リージョナルジェットMRJ)の文字だった。
 
その当時は三菱重工グループの一つとして三菱航空機という子会社が別途立ちあがっており、その会社が国産ジェット機の開発を担っていた。
その三菱航空機中途採用の案内だった。
 
「どうせ苦しみながらモノを作るのだとしたら、少しでも夢のあるものを作るのもありなのだろうか」
 
そんな思いに駆られた私は、その子会社の内容をロクに調べもせずにHPから会社説明会に応募していた。
 
 
 

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その会社説明会が平日に行われたのか、休日に行われたのか。
東京のどこで行われたのか。はっきりとした記憶は残っていない。
 
とにかく私はスーツを押し入れの奥から引っ張り出し、その会社説明会に向かった。
参加者は第二新卒のような若者が多かったように感じる。
 
 
まずは、会社側から会社説明、応募職種の説明があった。
 
私はその仕事に少しでもワクワクするものを感じるかどうかを見極めるためにも、その説明に耳を傾けていた。
 
おそらく1時間程度の説明だったのだと思う。
 
その説明会が終わると、司会らしき社員が、
「これから、各部署の担当者との面接に移ります」
と言った。
 
 
正直、説明会で説明があった仕事内容に、私は特に惹かれるようなものを感じなかった。
 
結局同じことを同じように繰り返すだけのように思った。
 
 
説明会の会場のそれぞれの隅に、各部門の面接用のブースが設置されている。
そのブースに向かって参加者が三々五々に散って行った。
 
 
 
その後ろ姿を後目に、私はその会場の隅に立っていた社員に言葉をかけた。
 
「申し訳ありません。説明会の内容を聞いて、面接を辞退したいのですが」
 
その社員はすんなりと私を帰してくれた。
その会場を面接もせずに立ち去った参加者は私だけだった。