知識蓄積ノート【投資・FIRE】

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ヤマハ社員のパワハラによる自殺記事を読んで

 

一つの記事

 
昨日、Twitterを何気なしに見ていると、一つの記事が目に入った。
 
 
ヤマハ浜松市)の30代の男性社員が上司の男性執行役員から厳しい指導を受けた後に体調を崩し、1月に自殺していたことが、同社への取材で判明した。同社は、背景にパワーハラスメントがあったと認め、遺族への補償を検討している。
 同社によると、男性社員は2019年春、研究開発部門の課長職になった。部門長を務める50代の執行役員と仕事をする回数が増え、叱責を受けることがあった。同年6月ごろから不調を訴え、同11月に休職。実家で療養していたが、20年1月に自殺した。
 
 
ある人は、「死ぬくらいなら会社を辞めてしまえばよかったのに」と言うのかもしれない。
 
だけど、重要なことは、「本当に追い込まれる状況が継続し、うつのような状態になてしまったら、冷静な思考ができなくなる」ということなのかもしれない。そのような人に「会社を辞めればよかったのに」と言ってしまうことは酷なこと。そのような追い込まれた人は、「今ここで死んだら、楽になれるのかな?」と本気で考えるようになってしまう。他の選択肢についてうまく考えられなくなってしまう。
 
確かに、色々な世間体の眼に縛られる中で、中々「退職」という選択肢を選ぶことは心理的に難しいようにも感じる。
そのような状況の中で退職という道を選択することができずに数か月もその状況を耐えることになった。その結果として不調をきたし休職し、自殺した。
 
そのような結末に至る分岐点はどこにあったのだろうか。
 
 

運命の分岐点は?

 
「今の状況は何かおかしい」と感じたのなら、まだ冷静に物事を考えられる状態の中でできるだけ早い時点で何らかの行動に出ていたら、何かが変わっていたのだろうか
例えば、異動でも、転職でも、場合によっては退職でも。
 
世間体の眼を気にして、その結果その場所に縛られてしまうこと。
その力は本当に強力に人を縛り付けてくる。その力の根本は、物心ついたころからその人の潜在意識に刷り込まれた「世間の常識」という鎖。その力に縛り付けられてしまったら、パワハラという異常な状態に置かれたとしても、中々その場所を離れることが難しくなってしまう。
 
どうすれば、その鎖を断ち切ることができるのだろう。
本来は、100人の人間がいれば100通りの生き方があってもいいはず。
 
たとえ周りから白い目で見られようが、一度強制的に切ってしまうという方法は有効なのだろうか。
一度でもその状況から離れた場所に立つことができるのなら、その異常な状態をある意味では客観的な視点で見られるようになるのではないのか。
 
例えば、まず退職する。
おそらく世間からの風当たりは強くなるかもしれないけど、「たとえ世界を敵に回したとしても、自分だけは自分の味方でいてあげる」という状況であるのであれば何かしらの希望を見いだせないのだろうか。